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令和3年9月26日 今日もクルクル通信1134号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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必要は発明の母
という言葉があります。
これ、トーマス・エジソンの言葉だと思っていたんですが、ググったところによると、出典は、『ガリバー旅行記』だそうです。
ご存知でしたか?
英語では、Necessity is the mother of inventionです。
そんな歴史に残る名言をちょっとモジってみると、
締切は発明の母
なんて、言うこともできるのではないか、と思うのです。
さすがに、発明なんていうと言い過ぎかもしれませんので、
締切はアウトプットの母
というくらいにしておきましょうか。
要は、締切をがあるから、誰もがアウトプットを出すことができているのではないか。ということです。
恐らく多くの方が、日常的に、この言葉を使っていると思うんです。
「すまん、今週マジ忙しいからその日無理だ。納品が2本もあるんだよ」
「来週、提案が3つもあるから、忙しい」
「締め切りに追われています」
みたいに。
「締切」と聞くと、作家稼業の方だけの頻出キーワードのような節があるかもしれませんが、実は誰にとってもお馴染みの言葉だと思うんです。
そもそも学生時代で言えば、
宿題、中間試験、期末試験、レポート提出。
小学校以来、ずっと締切に追われ続けてきたんです。
なので、この言葉にポジティブな印象を持っている人って、ほぼいないのではないのではないでしょうか。
誰もがラクしたい。締切とは無縁の生活を送りたいですもん。
でも、
締切がなかったらアウトプットをしない。
つまり、生産をしないのだから、能力の伸長も成果を上げることもない。と捉えることもできますよね。
だとすれば、
締切って、母親のように、実に有難い存在なのではないか?
という、マゾ的な?解釈をすることができるのでは?とも思うのですが、いかがでしょうか笑
実際、締切がないと、苦労もするはずなんです。
事実、私はしました、大学院で。
それまでの私は、学期末試験などの締め切りに追われる形でしか、アウトプットを出したことがありませんでした。
ところが、大学院生のメインの仕事である、修士論文にはそれがないんです。
いや、正確に言えば、卒業までの2年という締切はあります。
でも、この2年って、それまで、四半期や半年に1回のテストしかやってこなかった人間からすれば、期限ナシも同然でした。
だから、何をいつまでやったら良いのか?が全く分からず、毎日暇でした笑
(一応、修士1年の前期だけはレポートや試験があり、それはめちゃ苦労しましたが…)
締切は与えられるもの
と思っていた人間にとっては、
自ら締切を作るということは、天動説と地動説ぐらいの差があるんですよね。
全くの別物です。
誰も何も与えてくれないですからね、自分で行動するしかないのです。
でも、何をしたらよいのか?分からないから困るんですよ。
結局、今から振り返ってみれば、例えば以下のようなトピックについて、2年間という時間軸の中で、自分で期限を区切って、進めたように思います。
そもそも論文のテーマは何にするのか?
それは、学術的な価値があるのか?=研究に値するテーマなのか?
そのテーマをどの切り口で解き明かそうとするのか?
解き明かす方法はどのようなものがあるのか?
仮にAとBとCという3つの方法があった場合、どれをチョイスするのか?
その選んだ方法の良し悪しをどのように判断するのか?それをいつまでにやるのか?
などなど。
まあ、こんな風に整理して書けば、それっぽく見えますが、実際の執筆過程は、残り1年とか10ヶ月とかになって、今まで同じように、期限に追われていたんですが笑
さて、自分の仕事において、いつまで経っても、納期を切られ、それに追われているようだとしたら、ダメですよね。
だって、そうだとしたら、それは自分で仕事を創っているのではなく、誰かが創ったものを与えられているだけ。
ということになりますから。
誰もがオーナーシップを持って自ら仕事を創る時は、テーマも期限も自ら定めることになります。
仕事の内容も期限も自らコントロールしていくことになるんです。
なんてことを書きながらも、
自ら仕事を創るようになっても、自ら定めた締切に追われる日々を送ることになるので、結局、追われることには変わらないのですが笑
でも、同じ締切に追われるのでも、他者から与えられるものか?自ら定めたものか?には、天地の開きがあるんですよね。
締切を自らマネジメントし、アウトプットの品質を自らマネジメントしていくのです。
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【今日のうねり】
締切はアウトプットの母だ。
自ら仕事を創り、アウトプットの品質を高めていくには、締切をマネジメントできるようになることが肝要だろう。
誰もが、締切に追われているのだが、他者から与えられたものなのか?自ら与えたものなのか?
そこには天地の開きがあるのだ。
自ら、創り、それを追う(時に追われる)から能力が伸長していくのだ。