天国への鍵。使わなかったらもったいない。

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令和3年10月30日  今日もクルクル通信1166号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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当たり前の基準が高い所にいると、その場にいるだけで自然と、自分の基準も高くなる。

早起きおばあちゃんに育てられたから、今でも勝手に早起きになってしまっている。

こういう人が「すごい!努力家。」とか言われることがあるが、本人はそんな自覚が全くなく、ただフツーに生きているだけ。

なんてことがあります。

何がそうさせているか?というと、その人がいる環境。

だとすれば、努力って、環境を選ぶこと。

と、言えるのではないかって数日前に書きましたが、今日も続けます。

こんな話を聞くことってありませんか?

営業では全然だめだったけど、コピーを書かせたら一級品で、名コピーライターになっている。

全然仕事ができなかった奴がめちゃ仕事ができるようになっている。聞くところによると、部署が変わったようだ。

しかも、この評判の激変が、10年単位ではなく、1~3年の間に起こっている。下手したら半年以内のことだった。

みたいな話って。

では、この劇的ビフォーアフターの要因が彼にあったのか?というと、そういうわけでもなくて、

変化をしたのは、彼ではなく、環境。

その環境に激ハマリした、というだけなんですよね。

「めちゃ面白い」と評判のサッカー漫画『アオアシ』の主人公も、最初はフォワード志望だったけど、サイドバックにコンバートしてから大活躍するらしいですが、

これも、環境の変化によるものですよね。

つまり、自分に合わない環境にいるとどんなに頑張ろうが、成果をあげることはできない。

でも、1度自分に合う環境を見つけることができれば、本人の能力や姿勢は一切変わっていないのに、勝手に成果が上がってしまうことがある。

ってことです。

でも、この環境を見つけることは決して容易なことではない。

だから、環境を見つけることこそ、努力。ということもできるのではないか?って思うのです。

「水を得た魚のごとく」という比喩がありますが、なかなか水を得ることができないからこそ、

つまり、自分にベストフィットする環境を見つけることが容易ではないからこそ、こんな表現が生まれたのではないか。とも思います。

あるいは、

自分という鍵にあった、鍵穴を見つけることができれば、天国への扉を開けることができる。

とも言えるのかもしれません。

さすがに、自分のベストフィットする環境を天国と言い、全然フィットしていないところを地獄と言うと言い過ぎかもしれませんが、

それでも、前者と後者の間には、天と地ほどの居心地の良さの差があるのではないか?とも思うんですよね。

イエス・キリストの使徒の一人にペテロがいます。

彼はキリストから天国への鍵を渡されたので、天国の門番とも言われるそうで、彼の墓と言われているのが、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂です。

ヴァチカンがカトリック教徒にとっての聖地と言われる所以の一つが、これにあるとも聞いたことがあります。

自分にとっての天国は、おそらくそんなに数は多くないはずです。と言いますか、この世にたった一つしかないかもしれません。(天国も一つしかないですから、たぶん)

その天国への扉の鍵はありのままのスッピンの自分自身なんですよね。

にもかかわらず、自分に合わない環境=形状が合わない鍵穴に、自分自身という鍵を無理やり突っ込んで、

「あー、扉が開かない」なんて言いながら、ぐりぐり回してしまう。それを繰り返しているうちに、万が一、鍵が傷つき、形状は変わってしまって、扉が開くようなことがあったら悲惨ですよね。

間違った鍵で扉が開くことなんてないのですから、それは単なる勘違いでしかないですからね。

その不幸な勘違いを起こさないためにも、自分の鍵でしか開けることができない扉(鍵穴)=環境を探した方が良いのではないか。

もちろん、それは決して容易なことではないから、環境を見つけるという行為を努力。

と言っても良いと思うんです。

誰もが自分だけの天国の鍵を持っている、ペテロなのです。

扉を探す努力をしようじゃないですか。
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【今日のうねり】
自分にしか開けることができない、扉があるはずだ。
その扉の先には、ありのままの姿でご機嫌にかつ、最大パフォーマンスを発揮できる世界が拡がっているのだ。
もちろん、その扉は簡単に見つからないだろう。
でも、探さなければ見つからない。
その探す行為を、努力と呼んでも良いのではないか。努力をするのだ。