存在自体がネガティブキャンペーン。

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令和3年11月24日  今日もクルクル通信1191号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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先日、市ケ谷と、飯田橋の間にある坂を靖国通り側から下っていた時のことです。

夕方18時となるともう辺りは真っ暗ですが、前方に電光看板が見えました。

動画広告を流すライブボードといったものではなく、いわゆる文字が電光看板です。

郊外のロードサイドのラーメン屋が、「ラーメソ」とかになっているやつです。

その電光看板には、

屈指の合格実績

と書いてあるようなのですが、「格」の「木」と「績」の「糸」の電灯が消えていました。

一応、読めるは読める。ほかの情報と合わせると、「大学受験に特化した塾」ということもわかるんですけれども…

【画龍点睛を欠く】とはこのことでしょうか。いや違うか。

この塾に通いたいですか?

あるいは、お子さんがいたとしたら、この塾に通わせたいですかね?

積極的に「イエス!」と答える人はほとんどいないのではないでしょうか。

ケアレスミスが受験の合否を大きく左右することは、多くの方が骨身に沁みていることだと思いますが、

この塾に通ったとしたら、ケアレスミスとお別れできるどころか、ケアレスミスとは切っても切り離せない、タダならぬご縁に恵まれてしまいそうですよね笑

塾本体(自社ビルかどうか?は不明)の真上に、大々的に堂々とこの看板を出しているんですけれども、

この看板の存在そのものが、「ネガティブなメッセージを発生している」ように感じたんです。

集客に寄与するどころか、客を遠ざけてるのではないかと。

笑うに笑えないミスです。

まだNDA(秘密保持契約書)を交わしていない、新規の協力会社候補とのオンライン打ち合わせ。

「この情報はNDAを交わしてから共有させてください」とこちらが伝えると、「大丈夫です、弊社は情報管理を徹底しておりますので」と言い、先方から共有された画面には他社への提案ファイルが投影されていた。

みたいなミスです。

「医者の不養生」、「紺屋の白袴」。そこで、そのミスしちゃいかんだろっていう、クリティカルなミスですよね。

自らの手でポジティブキャンペーンどころか、ネガティブキャンペーンを開催してしまっているのですから、実にもったいないです。

このように、存在自体がネガティブキャンペーンになってしまっているもの。なんで、畳まないの?って思ってしまうものをちょいちょい見かけることがあります。

例えば、更新の滞ったブログ。

個人のブログなら全然良いのですが、企業や病院などの事業体だったらどう思いますか?

引越ししたての街で、風邪をひいてしまった。真っ先にグーグル検索をすると思いますが、そこで二つの医院のサイトが上位に上がってきたとします。どちらもブログがあるのですが、

一つは、2017年2月15日が最後の投稿で、それ以降一切の更新がない。

もう一つは、更新頻度は月に1回程度ですが、開始以来ずっと更新され続けている。

どちらに行こうと思いますか?

圧倒的に後者だと思うんです。

4年間も更新していないブログをそのまま置いておくって、自らの手で、「継続するのが苦手です」「細かいところを気にしません」と宣伝をしているようなものですもんね。

こんな古いブログを載せておくくらいだったら、ない方がマシじゃね?って思っちゃうんですが、それもできていないところが多いようにも感じます。

「せっかく作ったんだし、悪いコンテンツでもないのだから、残しておいても良いっしょ!」みたいな「サンクコストの罠」しっかりハマってしまっているのかもしれませんね。

何もこの手の現象はブログだけではありません。Facebook InstagramなどのSNSも同じです。

企業アカウントを作るのであれば、きちんと運用をする。やらないならやらない。

これの方が良いと思うんです。web上に全部履歴が残ってしまいますから、それが残っているだけで、ネガティブキャンペーンになってしまうこともありますからね。

数は少なくてもいいから、自分が大事だと思うことを丁寧にやり続けていくこと。

あれもこれも手を出して、どれも続かないことよりも、圧倒的に価値があると思うのです。
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【今日のうねり】
どんなことでも続けることが大事だが、中でもweb上での活動は、それを徹底するのが良いだろう。
やるならやる。やらないならやらない。この線引きをしっかりすることが大切なのだ。
中途半端なことがweb上に残ってしまうと、それ自体が、自分はダメです。というメッセージを発してしまうのだから、ない方がマシなのだ。
大事なことは、数は少なくても良いから、継続し続けることだ、数多くの中途半端な取り組みには価値がないのだ。