一度で二度おいしい。”話して書く”ということ

==========
令和4年2月9日  今日もクルクル通信1267号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
==========

文章を書くという行為を吹き込みでやる。

毎朝やっている、これですが、よくよく考えたら、変なことですよね。だって、話すことと書くことという全く別の行為を同時にやろうとしているのですから。

なぜ、これをやるようになったのかといえば、大きく理由が二つありまして、

一つは、それをやっている人を見てしまったからです。(繰り返しここで、書いて来た通りです)

もう一つは、ブックライターの上阪徹さんが、話すように書けばいいんだよ、という話をしていたからです。

とはいえ、”吹き込みマイスター”の高井伸夫先生のように数ページにも渡る、寄稿文を一筆書きならぬ”一吹き込み”で書くことなんて、およそ私はできておりません。

今この瞬間も、15分ほど前に吹き込んだ、原文をPCで手直ししています。どうやら一吹き込みを目標に、書き続けて?3.5年ですが、当初からさほど進歩がないようです。

ですが、書いたことに対する自分の理解は、明らかに深まっているという実感もあります。

しかも、もしかしたらその理解は、人に話すだけの場合よりも、遥かに深まっている可能性が高いとも思っています。

何故か?といえば、話す時に発した言葉は、発した瞬間から流れてしまって、目で見ることがないからです。

仮に話したことの前後左右の整合性が取れていなかったとしても、大丈夫なんですよね。

話し手はおろか聞き手もさほど覚えていないから。穴ぼこがあったとしても、話すだけであれば、何とかなっちゃうんですよね。

あれ?って思ったとしても、「MAICCA」で済ますことができちゃうんです。

ところが話して、書いた文章の場合は、そういうわけにはいきません。

聞くことと読むことの脳の回路が違うのか?文章を読んでいて、前後左右の関係が狂っていると、読み手はすぐに気づいてしまうんですよね。

「MAICCA」じゃなくて、「ダメ.DA.YO.NE」になっちゃうんです。

で、この吹き込みブログをやっていると、どうなるのか?と言うと、毎朝、自分自身に対して、

君の話していることは、「MAICCA」にならんわ。「ダメ.DA.YO.NE」って、言うことになるんです。

ただ、話すだけだったら、漂流して、どこに行ったかもわからない言葉たちや、整合性の取れていない話も、文章として可視化され、自分に読ませ、それを修正をすることで、自分の中で整理がついていくのです。

これが、思考を深めるトレーニングになっているのではないか?って思うんです。

実際、既にこの段階で、吹き込むとは全く別の重たい負荷がかかっています。

「推敲する」というダメ出しをするという営みが、思考を深める

とも言えるのかもしれません。

話すだけであれば、「推す」のか?「敲く」(たたく)のか?どちらの言葉を使うのが良いのか?なんてことは悩みませんからね。

なので、吹き込んで書くというのは、「一度で二度おいしい」経験とも言えるかもしれません。

話して、それを読んで、修正しているのですから。

そもそも、タイピングをするよりも、吹き込んだ方が圧倒的に生産性が高いっしょ!?って、出来たらスゲーって、思って始めた、この吹き込み執筆法ですが、

思考を深める良質なトレーニング方法でもある。ような気がしてなりません。
*****
【今日のうねり】
話して、書く。これを繰り返していれば、思考が圧倒的に深まっていくだろう。
圧巻の言葉の使い手になるための、これに勝る日々のトレーニングはないのだ。続けるのみだ。