“あきらめ”から世界が変わる

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令和4年5月31日  今日もクルクル通信1378号
本ブログは、(株)SURGING中田雅之のブログです。
今日もクルクルうねって、胸にぐっとクル気づきを書いていきます。
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『小鳥と鈴と私』という金子みすずの有名な詩があります。

小学校低学年の教科書に収録されている詩ですので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。

とは言いながら、その昔読んだことがあるような…程度の記憶。つまり知りませんでした。

もし、この歌を、その時分にきちんと覚えていたら、人生の生き方というか、過去、直面してきた数多くの悩みが消えてなくなっていたかも?とも思ってしまいます。

人生に「たられば」はありませんが、そう思わせてくれるくらい、素晴らしい詩です。

まあ、そんな若いころには、この素晴らしさに気づくこともできなかったようにも思いますが…てか、そもそも、小学校の頃に勉強なんて一切してませんでしたねw

それを棚に上げて言いますが、

この詩を教科書に収録をしているということは、この詩のメッセージ。つまり、「みんなちがって、みんないい」に文科省も共感しているということになります。

でも、実際に、現場で施されている教育は、これと真逆ではないか?という気もしちゃいますよね。

「誰かと異なることよりも、みんなと同じこと」を要求されるのが、学校教育。という気がしていましたから。

なので、仮に低学年の時に、この詩を覚えていたとしたら、「先生、みんなちがって、みんないいって、詩にありましたよね?違うんですか?」って真顔で質問する、面倒くさい生徒になっていた可能性が十分にありますw

別に日本の教育の功罪を論ずるつもりはありません。プロでもないですし。

ただ、この詩は本当に素晴らしい。せっかくなので抜粋しておきます。
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「 私と小鳥と鈴と 」 金子みすゞ

私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが

飛べる小鳥は私のやうに、地面を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、

あの鳴る鈴は私のやうに、たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。
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10代の私の「みんなとちがう」ことで、最大のコンプレックスだったは「髪の毛」でした。

いわゆる、天然パーマ(天パ)×剛毛で、オシャレの余地がまるでない。選択肢は坊主一択。当時はけっこう悩んでいました。

天パは、「焼きそば系」と「スチールウール系」の二つに大きく大別されます。

前者と後者の違いは、髪の固さによって生まれます。前者の方が、若干柔らかい。細かいことを言えば、焼きそば系の中でも、「生めん」タイプか「揚げそば」タイプか?の違いがあります、たぶん。

私は、完全なる、スチールウール系です、クソどうでも良い話ですがww

学生時代につけられたあだ名は、たわし、じゃがいも、サリーちゃんのパパ、マリモ、鳥の巣、芝生。大学生の時に一度だけ金髪にしたことがありましたが、その時は、ペタジーニ(ヤクルト⇒ジャイアンツ)でした。チリと呼ぶ、電通の同期もいます。

けっこう、ひどいですよね、こうやって並べてみるとw

さすがに、「ペタジーニ(ペタ」)あたりからは”おいしい”と思うようになりましたが、10年くらいはコンプレックスでしたね。

正確に言えば、”おいしい”と思うようになったのではなく、他にやりようがないから諦めた。でした。

金子みすゞの詩を知っていたら、もっと違っていたのかもしれませんがw

でも、本当に、”おいしい”と思えるようになってからは、まるで世界が変わりました。

積極的にこれを使うようになり、”おいしい”を狙いに行くようにもなりました。

例えば、電通のエントリーシートに、「チリ毛の私」と書きました。入社後も、髪を切りたてのタイミングで、ゴルフ好きの方に会えば、「グリーンのコンディション、整っています」とか、

ちょっと、髪が伸びれば、「スネークなので、ラインは読みにくいですよ」なんて、聞かれていないことを自分から言うようにもなっていました。

もちろん、掴みは完璧です。スベりません。

こうして、コンプレックスが、唯一無二の武器に変換されていきました。「芸は身を助ける」とは言ったもんですwそういえば、最近は使っていないですね。

まあ、私の髪の毛の話はどうでも良いんですが…w

「みんなちがって、みんないい」んです。違うから、価値があるんです。

小鳥と鈴と、私は違うように、自分は、自分以外にはなれないし、自分以外の人生は歩めない。

みんな違うんだから、それぞれが好きなこと、大切なことを突き詰めていけば良いんです。
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【今日のうねり】
みんな違うんだから、それぞれが好きなこと、大切なことを突き詰めていけば良い。
「みんなちがって、みんないい」のだ。
違うを愛するのだ。